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担任の先生が教室に入ってきてホームルームが始まっても、私の頭は先程の出来事についてでぎゅうぎゅうで、お礼を言わなくちゃお礼を言わなくちゃあと手伝ってもらっちゃってすみませんって謝らなくちゃ、と考えこんでぐるぐるぐるぐる目が回りそうになる。ホームルームが終わったあとに、言おう。言わなくちゃ。そおっと高尾くんの席のほうを見ると、彼は先生のほうなんか見ないで後ろの席の緑間くんに何か楽しそうに話しかけていた。だけど緑間くんが多分「前を向け」という意味で教卓の方を顎で示すと、高尾くんはやれやれと肩を竦めて体を前に向ける。やがて起立、礼、さようならの号令を合図にホームルームが終わり、がやがやと教室が騒がしくなる。私はやっぱり高尾くんのほうを見る。彼はやっぱり緑間くんと何かお話していた。頼み込むように、謝るように、両手を合わせている高尾くん。緑間くんがしれっとした目でそれを流す。さっきのお礼、言わなくちゃ。言ってから、数学のワークを、小林先生のところへ運ぼう。よし、と心のなかで唱える声さえ、おっかなびっくり震えていた。高尾くんのほうへ一歩踏み出したら、ちょうどくるりと高尾くんがこっちを振り返って、目が合って、びっくりして私は視線を泳がす。だけどそれに構わず、高尾くんはいつものようにへらりと笑って私に歩み寄ってくる。 「ちょーどいーや、サン!数学のワーク小林んとこ運ぶ係もサンだよな?」 「え?あ、はい、集めろって頼まれたし…一応、責任持って、職員室まで…」 「あれって提出40ページまでなんだろー?俺38までだと思っててさぁ、あと2ページ残ってんの」 「は、はい」 「職員室持ってくのもーちょい待ってくんね?10分で真ちゃんのワーク書き写すから」 「おい高尾。俺はまだ見せてやるなんて言ってないのだよ」 「かってーこと言うなよ〜真ちゃん!俺と真ちゃんの仲じゃん」 「自分の力でやれ。俺を巻き込むな。、コイツは放っておいて職員室にさっさと持っていくべきだ」 「おいおいサン味方につけんのはズリーだろ!」 「知るか。俺は先に部活に行く」 そう言うなり緑間くんは本当に高尾くんを置いてさっさと教室を出ていった。高尾くんを見捨てて早く職員室に運べ、という助言をされてしまった。とはいえ、それに従う気にもなれない。(高尾くんにはまだお礼も言っていないのだから、そんな、恩を仇で返すみたいなこと、しづらい、できない)話を切り出すタイミングを見失って、おどおどと私が自分の足元を見ていたら、高尾くんがやれやれと溜息を吐く。私の挙動不審な様子に対する溜息かと思ってびくりとしたけれど、彼は教卓の上に積み上げられたワークを上から順番に名前をチェックしだす。私は目をまたたいて、恐る恐る声をかけた。 「な、何してるんですか?高尾くん…」 「え?何って…真ちゃんのワーク探してんの。この中にあるっしょ?」 「うん…え、けど、緑間くん、見せてあげないって…」 「あ〜いいのいいの。断られようが俺が勝手に使うから」 「……あ、」 「んー?」 「あの、私のワークで良ければ、使ってくだ」 高尾くんが一冊一冊ノートを捲る手をぴたりと止めて、顔を上げる。それだけで、ぴしりと私の体も強張る。「使ってください」を言い終わらないうちに、「やっぱりなんでもないですすみません調子乗りました私なんかのじゃなく緑間くんのワークが」いいです、とこれまた言い終わらない内に、高尾くんが「マジで!?」で無理矢理私の言葉を遮った。なんだかとてもビックリされたような気がして、変なことを言ってしまっただろうかと身を引き気味にすると、高尾くんは「あーうん使う使う超使わせていただくわー」とうんうん頷くので、私はノートの山から自分のを引っこ抜いて、高尾くんに渡した。それを自分の席まで持って行って、「じゃーちょっと借りんね」とパラパラ、ページを捲る。私はこくんと頷いて、高尾くんが書き終わるのを待つ。教室内に残っていた生徒は徐々に少なくなっていき、担任の先生も姿を消し、あっという間に私と高尾くん二人きりの教室がまた出来上がる。二度目だ。そしてあの夢と、一緒だ。思い出すととたんに顔が熱くなって、胸がぎゅうぎゅうに締め付けられる。けど、今は、おさえよう、だめだ、それどころじゃなくて、私はお礼を言わなくちゃいけなくて。 「いやー、サンにワーク貸してもらえるとは思わなかったからさー、ビックリしたっていうか」 「え…?」 「俺めちゃくちゃ嫌われてるんだと思ったんだけど、ワークの貸し借りは許容範囲な感じ?」 「え?えっ?きら、…え?」 そんなことを言われて、私のほうこそびっくりする。嫌ってる?誰を?誰が?私が?高尾くんを?嫌うだなんて、そんなこと、考えてもみなかった。こっちが嫌うどころか、むしろ私が高尾くんに嫌われるべきなんだ本当は。軽蔑されて、それはもう、心底嫌ってくれてもおかしくない。いや、彼は私の見た夢の内容なんて知らないんだけど。だけど、嫌われてもおかしくないくらいのことを2日連続でやらかしているわけでして、だから、嫌うなんて、とんでもないのだ。どうしてそんな誤解が生まれてしまったんだろう、…いや、私けっこう話しかけられてもビクビク返してたし、距離おこうとしてるのがバレバレだったのかもしれない。うん距離置きたいのは事実なんだよね高尾くん見てると嫌でも夢の内容思い出しちゃうし、元から仲良くなかったし、でも嫌ってるなんて誤解、気分悪いだろうし、ここは否定して…。ぐるぐるぐるぐる考え込んでいたら、高尾くんがパタンとワークを閉じて、「おーわりっ!」と大きく伸びをした。あ、まだわたし高尾くんの言葉に返事をしてないのに。 「あの…、その…高尾くん…」 「ん?あー…ごめんごめん、俺べつに嫌われてても気にしねーし、へーきよ?全然」 「え?…えっ!?ち、ちがくてですね…!」 私があわあわしながら言葉に詰まって黙り込んだのを、「図星をつかれて」だと判断した高尾くんは、けろりとそんなことを言う。ま、ますます誤解が深くなってしまう!でも本当に気にしてなさそうな様子で言うから、「ああこの人本当に私に好かれようが嫌われようが気にしないんだなあ」とほっとしたようなグサッとくるような微妙な気分になる。どうしよう、もしかしてこのまま、誤解が解けないほうがいいんだろうか。私が嫌ってると思えば、向こうもあんまり話しかけてこないだろうし。もともと私はたぶん、高尾くんみたいなタイプのひと、仲良くなれないというか…苦手だったと思うんだ。だけど、でも、と頭の中がごちゃごちゃしてくる。高尾くんは鼻歌混じりに「さーて部活行こーかなー」と言い、自分のワークと私が貸したワークを二冊まとめて教卓の上に置いた。 「高尾くん、あのね」 「んー?なに」 「私、高尾くんが嫌いなんじゃなくて、でもだからといって全然、好きなわけでもなくて」 「…ぶっ」 下手に動揺しながら言っても信じてもらえずに「そんな必死になんなくてもわかってるよ俺のこと嫌いなんでしょ?」と思われそうだったので頑張って、真剣に・ゆっくり・丁寧に・しっかり口にしたつもりが、高尾くんが言葉を遮ってぷはっと噴きだした。私がガンッ!と大袈裟に顔を青くすると、高尾くんがお腹を抱えて笑いながら「いや、好きじゃないってハッキリ言われんのもなんかウケるっつーか不意打ちだったっつーかわりと新鮮で」と説明してくれた。あれわたしなんか気づかないうちにとっても失礼なことを言ってしまったんだろうか、とさらに顔を青くして涙目になりながら「ご、ごめんなさいすみませんほんとすみません一言多いっていうかもう口開くなって感じですよねほんとごめんなさい」と早口に謝ってぺこぺこ頭を下げたら、高尾くんは余計にげらげら笑い出す。 「あーサンほんとツボだわ。つーか、一言多いどころか一言少ないと思うぜ。いつもいつも」 「え…」 「だってさ、いっつも途中で話切ろうとしたり伝えんの諦めたりすんじゃん」 「それは…その、くせみたいなもので…おしゃべりが上手くないというか…」 「ゆっくりでいいと思う。なんでいっつも焦っちゃってんのか知らねーけど」 「…ゆっくり、ですか」 「そーそ。いいこと教えてあげよっか。会話に時間制限なんかないし、人と三秒見つめ合ったって石にはなんないよ」 そう言って、にぃっと口元に笑みを浮かべる。いつもと変わらない笑顔なのに、見たことのないものに思えた。いつもよりなんだか、優しい。私はその笑みと、紡がれた言葉にぽかんとする。ぽかんとしている間にも、高尾くんはふと思い出したように「だからさっきみたいに目ぇ見てゆっくりしっかり話してくれっと嬉しいけどー、そういや俺が途中で噴き出して言葉遮ったんだっけ」とうんうん頷き、「んで続きは?俺のこと嫌いでも好きでもなくてーそんで?」と続きを促してくる。私は、ぱくぱくと金魚みたいに口を動かして、それから一度ごくんと息を呑み、深呼吸して、気持ちを落ち着かせて、「言おうとしていたこと」をしっかり口にした。 「さっきワーク集めるの、手伝ってくれてありがとう」 これを聞いた高尾くんは呆気にとられたように言葉を失って、私の顔を見ながらまばたきを繰り返した。しばらく経ってまた噴き出すかと思ったけどそんなふうに笑い出しはせずに、ただ、いいことを思いついた、とでも言いたげににんまりと笑う。いつものように。 |