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本当は、少し、馬鹿みたいだけど、思っていた。今朝教室に入ったら、高尾くんが昨日の朝みたいに話しかけてくるんじゃないかって。私は昨日の放課後のお別れの仕方がすごく気まずいものに思っていたけど、高尾くんはそんなふうに思ってなくて、全然私の気持ちなんか知らないで、また「おっはよーサン!調子どーよ」なんて、笑いかけてくるんじゃないかって。話しかけられたら話しかけられたでいつもいつも困ってしまうくせに、今日だけは、そんな高尾くんを期待していた。だけど彼は私に話しかけてくる素振りなんか全然なくて。いや、それが当たり前、なのに。もともと、毎朝挨拶を交わすような仲なんかじゃない。私は何を思い上がっていたんだろう本当にバカだなあ恥ずかしいやつだなあ身の程知らずだなあとぐるぐる頭の中で言い聞かせていたらなんだか堪えきれなくなってトイレに駆け込んだ。なんとなく、教室にいたくなかった。一時間目の始まるチャイムと同時に教室へ戻り、自分の席に着いて、高尾くんのほうは見ない。一時間目は数学だった。そうだ、今日、当てられるんだった。 …なんだろうな、この気持ち。胸のどっかが、じくじく痛む。(おはようって言われたかった、とでもいうの)嫌われたかな、ついに。うざがられたかな。人がせっかく善意でバスケ教えてやろーとしてんのに何その断り方、って。ムカつかないわけがない。相手が高尾くんじゃなかったって、誰だって、むかつくとおもう。ああ、そっか、うん。毎朝キスする夢を見ていることがバレて嫌われるよか、マシかな。結果オーライなんじゃないか、これで。もう高尾くんは私にへらへら話しかけてきたりしないだろう。私も毎度毎度真っ赤になってあわあわしなくて済む。そのうちあんな夢だって見なくなるだろうし、何事も無かったように私と高尾くんは元通りの、なんでもないただのクラスメートになって、意識しないで済んで。ああでも自分のこと嫌ってる相手にキスされる夢ってなんだか本当に虚しいなぁ、馬鹿みたいだなあ。ぼんやりしてたらいつの間にか一時間目の数学は終わっていて、私は大きく溜息を吐いて、次の授業なんだっけ、と黒板の横の時間割に目をやる やろうとしたら、 「よっ!サンっ」 椅子ごと後ずさった。目の前にはいつの間にか高尾くんがいた。 「え、な、な、なんで…」 「でぇっかい溜息なんか吐いちゃってまあ。幸せ逃げんぜ〜」 「た、たか、た、たかたかた」 「たかた?カタカタ?…ぶっ」 「た、たかお、くん!」 「はい正解ー。そーそー、俺高尾くんね」 名前を呼ぶのも一苦労の私は、たぶん今ものすごく顔が赤い。鏡で確認しなくったって、だって、熱いもん。休み時間になるなり席を立った私の前の人の机にひょいと腰掛けて、高尾くんは私を見ていた。私は椅子で、高尾くんは机に座ってるわけだから、視点の高低がある。私は顔を真っ赤にして、ぶわっと変な汗をかいて、それでもなんとか高尾くんを見上げていて、高尾くんは口元ににやにやと含みのある笑みを浮かべて、私の顔を見下ろしていて。 「な、んで…高尾くん…」 「んー?なんでって、何が?」 「…な、なんで話しかけて…私、失礼なこと、したのに…その…」 「あれ?いつから俺サンに話しかけちゃいけなくなったんだっけ」 「えっ!?…えっと…その、ごめんなさいすみませんでした」 「あー!もしかしてあの時の力強い拒絶には『話しかけんな』って意味がこめられてた感じ?」 「や、あの、だからほんとすみませんごめんなさいごめんなさい違うんですあれは私が悪くてですね」 すっかりいつもの「謝る私」と「へらへら笑う高尾くん」の図が出来上がっている。うん、でもたしかに、話しかけるなとか私が決められることじゃないですし意味もなく話しかけたらダメとかそんなこと制限できるような立場じゃないというか、調子乗ってましたよねわたし。昨日の気まずい別れについて何か説明しようと思うのになんにも言葉が出てこなくてだらだらと私が汗をかきつつ口ごもっていると、高尾くんが私の前の席に後ろ向きに座って、背もたれの上で腕を組んで、椅子をこっちに傾かせて、ガタンと揺れて、急かされているわけでもないのに余計に私は頭が真っ白になり俯く。高尾くんが目の前だ。目の前に、いる。私の言葉を待ってる。わかってるんだ、けど。(夢の内容がどうとかでなく、私すっかり、この人と話せないなぁ) 「高尾くん、は…怒ってないんです、か」 やっとの思いでそれだけ口にすると、高尾くんは一瞬キョトンとして、「んー」と唸りながら背中を丸めて組んだ腕に顎を乗せる。「怒ってなんかねーよ?」と言い、私がほっと息を吐いたのを確認してから、「つーかむしろショックで超へこんだわ〜。そんなに俺にバスケ教わりたくねぇんだ〜って」と大袈裟に肩を竦めた。…彼が本当に、ショックだったのかは分からない。私なんかの言動でへこんだりする人なのかは分からない。だけどそう言われて、私は咄嗟に首を振っていた。「違うよ、そんなんじゃなくて」 「私、本当に自信なくて、高尾くんに教えてもらっても絶対、上手くなんかならないし…申し訳なくて」 「俺そんなに教えんの下手そう?」 「そ、そうじゃないよ!誰に教えてもらっても絶対できない、から」 「サンって『出来ない』っていう自信だけは無駄にあんね」 どきり。ギクリ。そんな音を立てて心臓が跳ねる。そのとおりすぎて、返す言葉がない。自信がなくて、なさすぎて、逆に変な方向に自信たっぷりになってる。絶対出来ない自信はある、なんて。自分でも、情けない。うじうじしすぎてて、うざがられるだろうか。「無駄にあんね」と言った言葉が少しだけ刺々しく思えてしまい、私は余計に顔が熱くなって涙目になる。そんなつもり、ないかもしれないけど。だけどいつもグサッとくるんだ、高尾くんの言葉。なんでもハッキリと口にできてしまう彼はきっと私とは正反対で、どうやったって、真似できないんだろう。高尾くんは、凄いひとだ。私には、遠い。 「でもさん、間違ってねーよ。出来ないヤツが出来るヤツの気持ちはわかんねーし、その逆も然り」 「…え…?」 「それまで何回やっても出来なかったことが一回できたらその後案外簡単になったりすることもあるしさー、要は成功したときの感覚を知ってるか知らないかじゃん?」 「う、うん」 「でもやってみなきゃ成功するか失敗するかも分かんないっしょ」 「(またバスケ教える教えないの話に戻ってる…?)わ…私、でも、ほんとにバスケできないよ!?」 「試合中にシュート打とうとしたことある?」 「ない、ないよ、だって絶対失敗するし、そ…そんな目立つことしたくない…」 「失敗した時はドンマイって言ってもらえばいいし万が一にでも成功したら大儲けじゃん。いっきにスターだぜ」 「スターとか、いいですし…わたしは、後ろで、うろうろしてれば…」 「だーめ、つまんねーよそれじゃ」 「つ、つまんなくていいよ私は…」 「いや、俺がツマンナイ」 「えええ!?」 なんで私がバスケ苦手でつまらなかったら高尾くんまでつまらなくなってしまうんだろう。何が言いたいのかさっぱり分からなくて、私はおろおろと高尾くんの顔を見るために顔を上げたり下げたりを繰り返す。私の目に映るのは、にやにやとチェシャ猫みたいにあやしく笑う高尾くん。休み時間、10分なのに、10分て、長い。高尾くんに捕まって、もう二度と逃がしてもらえないんじゃないかとすら思ってしまう。次の授業、なんだろう。授業始まったらたぶん、高尾くんも自分の席戻るはず、だし。そんなことを考えてる私を知ってか知らずか、高尾くんはさらに話をすすめる。にぃっと笑って。 「サンさ、俺と賭けしない?」 「…賭け、ですか」 「うん。明日の体育の授業でサンがバスケの試合中にシュート入れたら俺の勝ち」 「え」 「一回も入らなかったらサンの勝ち」 ぽかんと口を開けて、高尾くんを見る。高尾くんは、笑ってる。いつものように。本気で、そんな賭け、成立させようとしているんだろうか。私のシュートが入るって、どんな自信、なんで、どこから。だってそんなの、「うん、そう。成功失敗関わらずサンがシュートを入れようとしてくんなきゃ話になんないよなー」そうだ。高尾くんにはもうしわけないけど、黙っていつも通り後ろをくっついているだけのバスケをすれば、勝手に私は賭けに勝ってしまう。入れなきゃいい、ん、だから。私はシュートなんか打ちたくないわけで、打たなきゃいいわけで、だからこんなの、賭けでもなんでもない。そう言いたげな顔をしていたのか、高尾くんはいつになくわざとらしいニッコリ笑顔を貼り付けて私にこう言った。 「どーっしても俺に賭けで勝ちたいならサンはわざとシュートを打ちに行かなきゃいいわけだけど、そんなズルイ奴じゃねえって俺、信じてるし?」 さーっと私の全身の血が引いていく。そんなこと言われて、逃げ場なんて見当たらない。信じてる、という言葉がまるで脅迫のように聞こえる。彼はニカニカ笑って、私に「ねー?」とでも同意を求めるように首を傾げた。無言の圧力ってきっとこういうことだ。わざとシュートを打ちに行かなかったのがバレたら、なんて言われるか。っていうか、男子は男子でグラウンドでサッカーをやるはずなんだから、体育館の様子なんて分からないはずなのに。はず、だけど、でも高尾くんは私のバスケの腕前を知っていた。っていうことは、何故かしらないけど体育館の様子を見ていたってことで。なんでだろう?どうしてだろう?分からないけど、ここは、返事をしないと、だ。私はびくびくと怯えながらも、何度か首を縦に振る。それを確認した高尾くんは、ははっと満足そうに声をもらして、それから真っ直ぐに私を見る。笑っていた、というより、微笑んだという表現のほうがきっと正しい。 「ん。じゃあ、俺はサンを信じるから、サンは俺のこと信じてよ」 「そりゃ最初から出来るとは思わねーけど、いつその『最初』を持ってくるかじゃん。どうせ出来ないからってやらないでいたら、『最初』も『その次』も来ないから。何事もそのうちだって。最初の失敗受け入れたら、わりと後は気楽にいけるし」そう言いながら、すくっと彼は立ち上がり、借りた椅子を机に仕舞って、自分の席に戻る前に今一度私のほうを振り返って、「あとコレは普通に真面目なアドバイスだけど、ボールは時限爆弾じゃねえから!いや歩き過ぎたらルール的にアウトだけどだからって他人に押し付けて回すもんじゃないっていうか、あーやべえ思い出して笑いそう」と言いながらぷくくと笑いを噛み殺し口を押さえていた。み、見られてる。なんでか分からないけど確実に私の体育の授業受けてる様子を把握してるこの人。それじゃ、と背を向け自分の席へ向かおうとするので、私はその背中に思わず声をかけていた。 「た、高尾くん、は!なんで私に、そうやって…バスケのこととか、喋るのゆっくりでいいよとか、言ってくれるの?」 わたし、本当はすごく、影で、迷惑なことしてるんだよ。気持ち悪いことしてるんだよ。毎朝毎朝、あなたの夢を見てる。私にキスさせてるんだよ。言えないけれど、本当にそれが申し訳なくて、そんな私に優しくしてくれる高尾くんが、不思議で。今だって、もう二度と話しかけられないだろうと思ってたのに、私に話しかけてくれた。不思議で、不思議で。私の言葉を耳に入れた高尾くんはぴたりと足を止めて振り返り、「え…」と小さく呟き私の顔を見る。不意をつかれたように、自分でもわかってないみたいに、えっ、て。…きかないほうがよかっただろうか。どきどき、そわそわ彼の言葉を待っていたら、次の授業の先生が教室に入ってくる。ハッとして、「やっぱりなんでもないです!」と手をブンブン振った。だけど高尾くんは我に返ったように慌てて笑顔を取り繕って、言う。 「そんなのサンと仲良くなりてーからに決まってんじゃん!なーんて(いや、おもしろいからに決まってんじゃんか、うん)」 |