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「なあ真ちゃん」 「なんなのだよ」 「俺はさあ、この前の一件ですげえサンとの距離が縮まったよーな気がしたわけよ」 「そうか」 「だってあんなキラッキラした目で俺のことを見るし、ふわふわ笑うし、全然ビクビク謝ったりしなかったし」 「そうだな」 ところがどーだ、この状況。教室に入るなりコソコソと俺から隠れるように自分の席に着くサンを見て、俺は口元が引きつるのを感じた。あの体育での一件があって、俺は内心「どうしようこれから先ずっとさんがあのきらっきらした目で高尾くん優しいね優しいねって話しかけてくるようになったら…嫌じゃないけどすげえなんか恥ずかしいっつうかどうしたらいいのかわかんねえ!あとあのふにゃ〜っと柔らかく笑うのやめてほしいあの笑顔はマジ反則だろおかしいだろいきなりすぎるっつーかあーもう!」と悶々してたっていうのに、翌日以降のさんの態度はそれまでとまったく変わらない。朝教室で目が合うとビクッと後退り、顔を真っ赤にして自分の席へ向かう。何かしらちょっかい出して少しずつ笑ってくれるようになったと思っても、次の日の朝にはまた俺から逃げる。「それまでと同じ」「いつも通りのサン」ということに、ほっとする気持ちと、残念がる納得行かない気持ちとが、ここ最近ずっと混ざり合ってモヤモヤしてる。 「サンって何だ。一日の終わりに毎回リセットボタンでも押してんのか」 「知らん」 「おかしくねえ?仲良くなったと思っても次の日の朝にはまた振り出しに戻ってんだぜ?納得いかなくね?」 「知らん」 「なんかこう…なんっつーのかなあ…セーブし忘れてゲームぶちった時の気持ちっつうか」 「そうだな」 「真ちゃん」 「なんなのだよ」 「俺の話聞いてる?」 「知らん」 このやろう。目の前の男はこちらに全く視線をよこさず、机の上に広げた子供向けの絵本をじいっと見続けている。ほとんど文字なんか書いてないのに、1ページ捲るペースが遅すぎる。なんでも今日のおは朝のラッキーアイテムは「くまの絵本」らしく、わざわざ通学途中近所の小学生に借りたらしい。なんかもう、おかしい。いろいろなものが。なんでこんな巨人すぎる男子高校生が朝から小学生向けの絵本読んでんだよ。俺の話より絵本ってなんだよ。ラッキーアイテムなんだから持ち歩くだけでいいだろ読むなよ。はあ、と大きく溜息吐いて、しぶしぶ上半身をひねり、前へ向き直る。 「…まー、これでよかったのかもしんねーけどさ」 この前の俺は、明らかに異常だった。っつーか、危なかった。もうちょっとでコロッといくところだった。超危ない。それまでのサンとは違う一面を見て、不覚にもドキッとしてしまった俺。だってそうだろう、大抵いつも俺の前では泣きそうな顔だったりおどおどしてたり青い顔してたりしてるあの子が、俺に向かってありがとうってにっこり笑うんだ。優しいねってへにゃりと笑う。いや、まあ、いきなりでびっくりしただけかもしれない。恋とかじゃなくて、好きになったかもとかじゃなくて。ただ、そんな顔もできるのかと感心しただけで。だから翌日何事もなかったようにいつも通りおどおどびくびくしてるさんを見て、あれ?って拍子抜けして、でもちょっとほっとして。 「…だいたい、お前はのこととなるとわけがわからないのだよ」 「へ、何が」 ぼーっとしていた俺の背後から声が聞こえた。もちろん後ろにいるのは真ちゃんだ。椅子に横座りになって、首をそっちに向ける。真ちゃんはパタンと絵本を閉じて、無表情のままにこう言った。「最初はあの必死に謝ってくる様子が面白いと話していただろう。そこが気に入ったんじゃないのか。なのに次は自信をつけてやりたいだの、距離を縮めたいだの…結局お前は何がしたいんだ」分からないところがいいと思ったり、わかりたいとおもったり。俺もぴしりと無表情になる。真ちゃんも無表情。お互い無表情、無言。たっぷりと時間をかけて、俺が口を開く。言い訳するような、情けない声だった。(調子が狂う。本当に、ここ最近) 「…んなの、そりゃあ…俺だって」 「あ!何この本!なつかし〜あたしちっちゃい頃読んだことあんだけど!何これ何これ!緑間の本?」 「………」 「……向井」 「え?何?アハハごめん邪魔しちゃった?」 ちっとも悪びれる様子もなく、向井がちゃっかり真ちゃんの横に立って絵本をのぞき込んでいた。閉じたままだったそれを手にとって、ぱらぱらと捲っている。俺はとたんになんだか脱力して、はーっと溜息吐いた。真ちゃんは無言のまま向井に取られた本をじっと見ている。すごく、不服そうに。睨んでいるといったほうが正しいくらいに。だが向井はそれに気づかない。怖いもの知らずっつーか、女子でここまで真ちゃんに物怖じせず絡んでくんのは向井くらいだ。 「盗むなよ〜向井。それ真ちゃんのラッキーアイテムだから無いと死ぬぜ。真ちゃんが」 「マジで?なにそれ超ウケんだけどー あ、そーだよ高尾さあ」 「あー?」 「サンとデキてんの?」 脈絡ねえ!!! っと全力でツッコミたくなる。向井はなんてことないように、絵本から視線を逸らさず俺に訊いた。だからこそ大げさに「はあ!?」とか驚くのはなんだか癪で、俺は平静を装ってははっと乾いた笑いを一つこぼしてみせる。真ちゃんは俺と向井の話題なんかお構いなしに、ただ視線だけで向井に「早く本を返せ」と訴えていた。 「なんだそれ。どこ情報だっつの」 「えー?クラスの女子みんな言ってるけど?ほら、この前の体育の時間デカイ声でサンにラブコール送ってたじゃん」 「…げ」 「あれ超みんなビビって〜、あー緑間もいたっしょ」 「高尾に無理矢理連れて行かれただけなのだよ」 「ばっかだね〜アンタ超デカイんだから目立つに決まってんじゃん?ウケる〜」 「うるさい」 「で?付き合ってんの?」 パタンと絵本を閉じた向井が、ようやく俺の顔を見た。目が合って、俺の顔をじーっと見つめるうち、その表情がニヤニヤしたものに変わっていく。なんだかそのにやにやっぷりがもう一人の自分を見ているようで、無性になんか、納得いかない。むずがゆい。自分自身に認めろと言われているようで、ムカつく。いや、認めるって、なにをだよ。あの予感じみたトキメキ的な何かを?いや、そーゆーのは、俺のキャラじゃないだろう。俺はわざとらしくやれやれのポーズを取って、「付き合ってねーし」と口にする。「つーか、そーいうのじゃねえよ。サンは、サンじゃん?やっぱ」 「あー、やっぱし?まあ、前に言ってたもんねえ。サンはそーゆーポジションじゃないもーんとかどうとか。けどあの時はまともに喋った事ないとか言ってたのに随分仲良くなってんじゃんよ?」 「…まあ、なんつーの?ちょっかい出したくなるのは認めるけどな」 「えー?ちょっかい出すだけ出して女として見てませんとかさー、サンに失礼じゃない?からかってるだけじゃーん。あーゆー真面目な子はさー、もっと慎重に扱わないと駄目だと思う〜」 「ハハッ!おまえサンの何を知ってんだっつーの!」 「だってさあー、好きになられたらどーするのさ」 「…あー……いやー、それは無いと思う、っつーか…」 「あれ?なんで?なんでそんな弱気?」 「弱気とかじゃねーよ。ただ、なんっつうか…」 分からない。その一言に尽きる。あの子が何を考えているのか全く分からないし、俺だって自分自身がわからない。だいたい、どんだけこっちが頑張って歩み寄ろうとしても、仲良くなれたかもって思っても、次の日の朝にはまた振り出しって、わけわかんねえじゃん。俺ばっかりなんかこう、気ぃ遣ってるっつーか、頑張っちゃってるっつーか。頭の後ろをがしがし掻いて、小さく溜息。視線を感じてそっちを見たら、やっぱり向井はニヤニヤ笑ってる。真ちゃんは向井の手から本をひったくって机の中に仕舞った。(そもそも、なんで俺は頑張っちゃってんの。歩み寄ろうとなんかしちゃってんの。相手はただのクラスメートだろう)(いや、だからそれは、面白いからであって)(あ?違うか、面白いのはあのビクビク謝ってくる様子で)(じゃあこのままでいいじゃん)(違う、だからそーじゃなくて) 「セーブし忘れたなら今度からセーブすりゃあいいじゃんね」 やれやれと呆れたような声でそう言って、向井は下手くそな鼻歌を歌いながら自分の席に戻っていった。他人事だと思って簡単に言いやがって。そんなこと言ったって、俺だってそりゃあ。拗ねたような舌打ちが漏れて、なんだかやけに自分がかっこ悪い。あーあ、と首を持ち上げて天井を仰ぐ。サンは、俺がこんなふうにモヤモヤしてることなんて知りっこない。おんなじ教室にいるのに。目を向ければすぐそこに彼女の姿はあるのに。なんで近づけないんだろうな。 「……つーか向井、アイツ、どこから俺と真ちゃんの話聞いてたんだ」 「知らん」 |