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「ねー高尾、英語の予習やった?」 「予習?ああ、この前授業で中途半端になったとこだろ?」 「そ。んで、ここの7行目の、この部分なんて訳した?」 「えーっと…あー…『彼はその言語を話す人々の仲間』」 「えー?なんか変じゃ〜ん。直訳すぎじゃね?」 「は〜?じゃーそれ以外になんて訳すんだっつの。お前なんて書いたんだよ?」 「書いてないから言ってんの〜」 「書いてないのに威張んなって言ってんの〜」 英語の授業前の休み時間。席が隣同士の高尾と向井がノートを広げながら雑談している。自分から尋ねておいて口を尖らせて文句を言う向井と、その向井の態度に真似て口を尖らせ文句を言う高尾。英語の授業の予習は教科書の本文を写し、自分で簡単な日本語訳を考え、新出単語の意味も調べる、というもの。基本的に、英語教師はその予習がやってあるかやってないかのチェックしかしない。ただ授業で指された人間が訳を答えることがあるので、出来れば日本語訳に穴を作りたくはない。そういう思いで、たいてい分からない部分は周囲の人間に聞くのが向井だ。高尾はわざとらしく肩を竦めると、後ろの席を振り返った。向井も真似て首を捻る。視線の先では、緑間が教科書の文字を睨んでいた。不機嫌そうな表情。 「しーんちゃん!予習の7行目なんて訳した?」 「うるさいのだよ。自分で考えろ」 「なんかご機嫌斜めじゃーん?どしたー?」 「どうもこうもない」 「あ〜、まだ例のアレ気にしてんの?」 「…」 「えーなに緑間教えてくんないのー?アンタなんのために頭いいのー?」 「自分のために決まっているのだよ!間違っても貴様らに教えるためではない」 「あーバッカ向井、真ちゃんもっと機嫌悪くなんじゃんよ。デリケートなんだから気をつけろよなー」 「いいもーん。あたしにはもう一人助っ人がいるもーん。ねっ!チャン」 「へっ!? え、あ、わたし?」 微妙に聞きなれない呼び名で呼ばれて、びくっとの肩が跳ねる。高尾も向井も完全に椅子を後ろに向けて、高尾は緑間の机に肘をつき、向井はの机に自分のノートを広げる。三人のやり取りに自分も混ざると思っていなかったのか、はおどおどと彼らの顔色を見比べた。きらきらとした目で見てくる向井。殺気を感じるほど不機嫌な緑間。そして、自分を見てにやにや微笑む高尾。改めて、この人と席が近いんだなぁ、と感じて、なんだか少し落ち着かない。とりあえず、向井に自分のノートをおずおずと差し出して、「間違ってるかもしれないけど…」と日本語訳を見せる。「やー助かる助かる!」と向井が自分のノートに写しだした。高尾も椅子を動かして覗きこむ。が息を呑んだ音には誰も気づかなかった。じぃ、と自分のノートを見つめる高尾を見ていると、見つめられているのはノートなのに、自分が緊張してしまう。 「前にワーク借りたときも思ったけどさー、サンの字ってさー」 「は、はい!」 「なんっかこう…サンっぽいよなー」 「そう、かな…!?」 「人柄が出る的な〜?」 「的なー」 「は、はあ…」 「真ちゃんの字も真ちゃんって感じー?」 「フン」 「ね、ね。なんで緑間今日めちゃくちゃ機嫌悪いの?」 「あー…実は…」 頬を掻いて、何やら真剣な話でも始まるのかと思ったら。「ラッキーアイテムがまだ手に入ってねーんだと」と高尾が言った瞬間、向井がプッと噴き出し、それを無言で緑間が睨む。その視線すら笑えたようで、堪えきれずに向井は腹を抱えてケラケラ笑い出した。 「きゃはは!やっぱあんた超ウケる!そんなことで一日機嫌悪いとか!ひー!」 「うるさい黙れ!お前の笑い方はいちいち癇に障るのだよ…!」 「ラッキーアイテム…」 「そ。おは朝占いのラッキーアイテム。それがないと真ちゃん一日調子でねーの。マジでご機嫌斜めだから、そーいう日は下手に近づかねーほうがいいぜ」 向井が指をさして緑間を笑い、それに緑間がキレている間、高尾が身を乗り出してに小声で説明する。「そうなんだ…」と呟き、高尾との距離が近いことにハッとして、が身を引くと同時に高尾が緑間のほうへ体を向ける。 「んで?なんだっけー?今日のラッキーアイテムは」 「苺の香りつきの消しゴムだ」 「いちご!きゃはははは!!なんでそんなピンポイントなの!」 「ははっ!それ言えてる!なんでイチゴ!マジおは朝ひでー!」 「ほんっと!最近見ないし香りつきの消しゴムとか!」 「小学校ん時とか流行ったよな〜」 「あったあった!この歳で持ってる子とか少ないんじゃ…」 「あの、私…」 「ん?どしたー?サン」 「私…持ってるけど…」 おずおずと自分のペンケースからピンクの消しゴムを取り出す。高尾と向井はピタリと笑うのを止め、緑間はピクリと眉を動かし、はで三人分の視線が集まったことにドッと顔を赤くする。「なんかごめんなさい持ってて…あ、でもコレよく消える…って、あ、あの、なんでもないですごめんなさい…」とか細い声で謝りそそくさと消しゴムをしまおうとする彼女に、プツンと何かが切れたように高尾が笑い出す。するとそれにつられたように向井も笑い出した。おろおろするに、緑間だけが真顔で、一言。 「。今日一日それを貸してくれないか」 「えっ?え、え、えっと」 「超ヤバイまじウケるんだけど!何その展開!」 「マジかー!サンすげえ!ぎゃはは!」 「あ、あの…」 「代わりに俺のを貸すのだよ。好きに使ってくれて構わない」 「ええ!?で、でも、そんな、ご迷惑では…」 「なんで頼まれてる側がそんな心配すんの!」 「ズレてる!ぜってーサンずれてっから!そこがおもしれーんだけど!」 「、頼むのだよ」 「は…はい、私のでよかったら…お好きにつかってください…」 ピンクの消しゴムが、緑間の手に渡る。角は削れて、丸くなったその消しゴム。確かに日頃からが使っていた、というのが見て取れる。それが、今日一日緑間のものになる。彼のラッキーアイテムに対する執着は凄まじいものだし、一日の調子がいいか悪いか、結果が伴っているから高尾もなるべくそのアイテム集めは応援している。普段なら。よかったなー真ちゃん、と肩を叩いて笑うところだろう。事実、先程まで自分はケタケタ笑っていた。だが、冷静になってみると…何か――おもしろくない。ぴたりと笑うのをやめて、じ、とと緑間のやり取りを見守っていた高尾が、身を乗り出す。緑間が自分の消しゴムをに渡そうとした時、ソレをひょいと掠めとったのだ。 「…何をするのだよ高尾」 「ん?んー…っと、いや、なんか二人で消しゴムとっかえっこって、仲良しだなーっと」 「えええ!?ご、ごめんなさい緑間くん、そんなつもりじゃ…」 「俺だってそんなつもりはないのだよ!さっきも言っただろう、これはラッキーアイテムのために…」 「真ちゃんの消しゴム俺使っちゃおーっと」 「おいっ!」 ぐっと自分の掌に緑間の消しゴムをおさめると、へらりと笑う。緑間は思いっきり「わけがわからない」という顔をしながら彼を睨み、もおろおろしながら高尾を見ていた。向井はキョトンとした顔で流れを見守る。何か怒らせてしまったんだろうか、どうしていきなり、とはぐるぐる考える。かくなる上はもう自分は一日消しゴム無しで生活するしかないのだろうか。字を間違えるたび周囲に借りるというのも迷惑だよなあ、と見当違いのことを考えていると、英語教師ががらりと戸を引いた。授業のチャイムが鳴る。 「で、サンは俺の消しゴム使って」 直後、ぽんと置かれた白い消しゴムに、がぽかんとする。緑間も、「は?」と言いたげな顔で固まった。高尾は消しゴムを渡すとくるりと体の向きを黒板の方へ直した。慌てて、「いや、そんな、使えないよ!」と言いながらが高尾の肩を叩こうと手を伸ばすも、それとほぼ同時に日直の「起立!」という声が教室内に響く。反射的に手を引っ込めて立ち上がったを、高尾が振り返って、わらう。彼が人差し指を立てて、「静かに」と合図すると、はっとしたようにが自分の口を覆った。それを見てやっぱり、楽しそうに笑う。気の抜けた「ちゃくせーき」の声を聞いて皆が席につくと、がまだ諦めずに高尾に消しゴムを返そうとする。 「た、高尾く…」 「よーし真ちゃんの消しゴム角っこ使っちゃおっかなー」 「ふざけるな高尾!」 「せんせー緑間クンがうるさいでーす」 「向井貴様…!」 自分の机に置かれた、自分の手には馴染まない高尾の消しゴムを見つめて、少し頬を染めたり、ちょんちょんっとつついたり、つついたあとに我に返って顔を覆ったり。そんなのほうにあえて視線を向けず緑間いじりを続ける高尾。そんな二人を眺めて、向井がこっそりと肩を震わせて笑う。 (そんな感じでこの席はたいへん楽しい空間になっているようです) |