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「高尾くん、あの…ごめんね。遠回りだよね?家まで送っていただいて…」 「あー、いーのいーの。最初から送るつもりだったっつーか…結局暗くなるまで連れ回しちゃったし?夜道とかいろいろ危な…」 「えっあっそうだよね!?高尾くんここからお家までどれくらい掛かる!?高尾くんの帰りの方が危ないよね!?」 「ぶはっ!え、なに俺が心配される流れ!?マジか〜!ぶっ…くく、まじか〜!サンすげーわマジか〜!!」 「で、でもだって…」 「だいじょーぶダイジョーブ。男の子なんで!」 「そ…う、ですか」 男の子だから、っていうその理由に、ほんの少しどきりとする。私の歩幅に合わせて自転車を押して歩く隣の高尾くんは、男の子だ。当たり前だし、忘れちゃうわけでもないけど、はっきりと意識すると、なんだか落ち着かない。二人っきりで、こんなに長い時間を過ごしたのは初めてだ。男の子、と、ふたりで。うん、初めてだ。 目的のプレゼントを選び終わってからも、私と高尾くんの「寄り道」は続いた。毛色の違うわちゃわちゃ賑やかな雑貨屋さんに寄ってみたり、ゲームセンターでちょっと遊んで高尾くんがお菓子を取ってくれたり、近くの店で軽く食べたり飲んだり、きっと高尾くんにとっても、世の中の高校生にとっても、なんにも特別なことはしていないと思うけれど、私には特別だった。だって女の子同士で遊ぶのとは、なんだかちょっと違うから。だけど、気を遣いすぎて疲れてしまったり、沈黙してばっかりで気まずくなったり、なんて思いもせずに、暗くなるまでの時間があっという間だったのは、きっと高尾くんのおかげだ。あんまりそういうふうに感じさせないけど、高尾くんはきっと、私が楽しめるように気を配ってくれていたと思う。いろんな話題を作るのが上手で、話をするのも聞くのも上手だ。それを改めて実感した。こうやって、学校で過ごすのとは違う、特別で、長い時間を過ごしてみて。 「…ありがとう、高尾くん」 「ん?いいっていいって」 「あ、ううん。送ってくれるのももちろんなんだけど、今日は、ありがとうございました…!」 「いやいや、お礼言うならフツーは俺の方じゃね?付き合ってもらっちゃったわけだし」 「いやいやいや!それとは別に、なんていうか…その…つ、疲れなかったかなー、と…」 「…ん?歩き回って?疲れた?サン」 「ううん!そうじゃなくて!その、私といつもより喋ってるのが。高尾くん優しいから、こう、普段一緒にいるタイプとは違う人間と過ごすのって、話題探したり気を遣ったりして疲れてしまうんじゃないかなと思うので…っていうか疲れましたよね…ごめんなさい本当に」 「ははあー…サンってすげーナチュラルに自分を下げてくるのなー、いっそ清々しいわ」 ああ高尾くんがあえてそういう、疲れを一切感じさせないという優しさを見せてくれていたのに私から「疲れましたよね?」って言うのめちゃくちゃ失礼だったかもしれない高尾くんの努力を無駄にしてしまった…と自分の発言に自分で後悔した、直後。高尾くんが、自転車を押して歩く足を止めた。つられて、すぐに私も足を止める。高尾くんが、じーっと私の顔を見てくるので、どきっとしてしまい視線を落ち着かなく下降させた。 「俺、気ィ遣ったり疲れたりしてるように見える?」 「え…う、ううん。見えない…です、けど…」 でも、見えないだけで、そうなんじゃないのかな?心配しすぎだよって高尾くんは笑うかもしれないけど、そんな高尾くんが簡単に想像できてしまうけど、でもそれはやっぱり高尾くんが優しいから、そう嘘をつかせてしまうだけなんじゃ…?ぐるぐるとマイナスな方向にばかり考えてしまう私の頭の中を一掃するみたいに、高尾くんの、「じゃあさ、サンは?」って声が、ハッとさせる。すぐに俯いていた顔を上げた。 「俺と一緒に買い物したり遊んだり、くだらないこと喋ったり…今日一日、疲れた?実はめっちゃくちゃ気ィ遣いまくった?」 「え!?ううん!全然!高尾くんのおかげですごく楽しかったし、あっという間だったし!…で、でももしそういうふうに見えてしまっていたなら申し訳ない一緒に過ごしてくれた高尾くんに対してすごく失礼なことを…でも私本当に楽しかったので!」 「……」 「…」 「ぷっ」 「わ、笑うと思った!この間の取り方は絶対笑うと思いました!」 「いや、ごめ、予想外に必死で…!」 肩を震わせて笑う高尾くんに、うぅ…っと自分の必死さを恥ずかしく思ってまた俯きかける。けれど高尾くんが、笑っていたのをふっと抑えて、「俺もだよ」って言った。言葉の意味を頭で考えるより先に、私は顔を上げて、高尾くんを見る。私の言動をけらけら笑うときの顔じゃなくって、ちょっと困ったみたいに眉を下げて、でも表情は優しい。ほんの少し、照れがあるようにも見えるはにかみ方で、「俺も、楽しかったから」と笑う。自分の言動を笑われて恥ずかしくなるのとはまた違う、違うけど、それ以上にぶわーっと急に顔が熱くなった気がした。 「…やー、でもさ、確かにちょっといつもより無駄に口が回るっつーか、べらべら喋りまくったかもなー、俺」 「それはやっぱり、その、沈黙しないようにいろいろ気を遣ってくれて…?」 「気ィ遣って、っていうよりは…緊張?」 「緊張!?…高尾くんが…!?」 「もしくは、浮かれてたかもな」 「え…」 「だからまあ、コイツ話の振り方不自然じゃね?って思ったかもしんないけど、変な気遣いとかじゃねーのよ、コレが」 「え、ううん全然そんな感じなかったよ…!私こそおしゃべり下手で!それに比べて余裕があるように見えたよすごく!」 「マジか。じゃー俺結構演技派かも」 「そっ、う、だね…?」 「あ、疑ってるだろー?俺だって緊張も浮かれもするって。相手サンだもんよ」 「…わたし、だと、緊張する?」 浮かれることも、あるの?全然そんな感じはしなくて、いつもの、人に気配りが出来て優しい高尾くんだーって、思ってたけど。きょとーんとかぽかーんとかしてるであろう私の顔を見て、高尾くんは、にっ、と笑った。笑うだけ。それだけを返事にして、前を向いて、「行こっか」と歩きだす。はぐらかされて、明確な答えなんてわからないのに、なんだかひどく胸の鼓動がうるさくって、うん、って答えたはずの声があんまり声になってくれなかった。そのせいで、二人の間に沈黙が流れる。つい直前に「緊張しておしゃべりになっちゃう」って言った高尾くんが黙り込んだのだから、これは、この沈黙には、理由がある。意味がある。私がぎこちない返事をしたから、気まずく思ってしまっただろうか。 そもそも、緊張して喋れなくなっちゃう、なんてことはきっと、高尾くんは無いんだろうな。本人の言う「いつもよりうまく喋れなくなる」っていうのは、あったとしても。緊張してても、黙り込むことはしないで、とりあえず会話を盛り上げようとしてくれる。それは、他人のためを思って行動できる人だからこそ、だなあ…って改めて思った。自分の都合よりも場の空気を考えることができるというか。やっぱり高尾くんってすごい人だな、優しいんだよな、ってしみじみ思う。そう思ったら、甘えてばかりはいられない。私からも、何か、こう、喋らなくっちゃ。気を遣うとかじゃなくて、相手と楽しい時間を過ごしていたいから、一歩の頑張りが大事なんだ。 「…あのさ」「高尾くん!チョコ食べる!?」 「……」 「え、あ、ごめん今何か言いかけたよねなんでもないですどうぞ!」 「…ぶふっ!」 「笑うよねうんごめんね」 「いや、なんか、めちゃくちゃ分かりやすくてサン最高だなって」 「う、うん?」 「緊張すんのも、浮かれんのも、沈黙しないようにお互いアワアワすんのも、なんか楽しーわ」 「や…やっぱり私が相手だと気を遣わせてしまうかな!?」 「うん」 「うん!?」 「さんだからだな。たぶん」 「う、うん?」 「悪い意味じゃねーの。お互いと楽しく過ごしたいからあれこれ考えたり、から回ったりするのって、悪くないかもなーってさ」 「…相手が、私だから?」 「そ。さんが相手だから」 高尾くんは、包み隠さずにストレートになんでも言ってくれているようで、「それってどういう意味?」って聞きたくなってしまうような含みのある言い方をする。今だってそうだ。何度目かになる「さんだからだよ」の意味を、どう受け取っていいものか混乱する。だけど高尾くんはなんにも秘密になんかしていないふうに振る舞っているから、この短い言葉で、こちらがその意味を汲み取るしか無いんだ。うん。普通なら汲み取れてきっと当然なのだと思うけど、やっぱり私には少し難しい。 「んで!サン、チョコくれんの?」 「あ!はい!っていうか、あの、さっき高尾くんがいっぱい取ってくれたやつだけど…」 「あ、さっきのゲーセンで?」 「うん!すごいよねぇ、高尾くん!あの、シャベルみたいなやつで一回にすくう量が!すごかった!上手だね!」 「ふっふーん。アレはコツがあんのよ」 「そうなんだ…!私あんまりやったことなくて。見てるだけでもドキドキだったよ」 「やってみりゃよかったのに。サンも。俺がコツ教えたげるし」 「えぇ、だってその…ああいうゲームとか、UFOキャッチャーとか、周りの目が気になって」 「……へ?べつに悪い事してるわけでもねーのに、なんで?」 「だ、だってほら、自然と視線が集まる気がして!私も、目の前でやってる人いたら見ちゃうし!取れなかったら恥ずかしい気がして…『あーあの子取れなかったんだー』って視界に入った人にも思われてるような気がして、取れないのにやるのはなんだか恥ずかしい、ような、なんかこう、恥ずかしいんだけど私だけかな!?」 さっき二人で立ち寄った時も、私は高尾くんがゲームをやるのを横で見ているだけだった。「どんなのがあるのかなー」って二人で店内を見回しているとき、他のクレーンゲームをやっているお客さんがいれば、つい見てしまうのは不可抗力というか、そういうもの、だと思う。だから、ゲームをやる=誰かに見られること、のような気がして。でもだからといって、周囲に誰もいない機体を確保してこっそりひっそりやっていれば落ち着くのかといわれるとそうでもない気がする。ちっとも取れなくてへたくそだと、やっぱり周囲をきょろきょろ気にしてしまうんだと思う。誰もいないのに、誰かに笑われてないか心配になる…気がする。ゲーム一つで何を大袈裟なって、きっと普通の人には笑われてしまうだろうけど。 高尾くんにも、笑われると思った。それか、「え…大袈裟…」って変な子に思われて引かれるか。だから慌てて、「私だけかな!うん!私だけだよね変なこと言ってごめんね!?」という流れに持っていこうとした。だけど高尾くんは、「あー、そっか」と、納得するように言った。口元に手をそえて、ふむふむ、と。 「…え、と…変です、よね」 「んー?まあ、俺にはわかんねーけど。そういう感覚」 「……うん」 「でもサンだもんなー、って。バスケでパス回って来るのとか、教卓にワーク出せって大きい声で言うのとか…それだけのことめちゃくちゃ苦手だったじゃん。それも俺には分かんない感覚だったけど、サンにとっては、クレーンゲームもそれと同じような感じなのかなー、と」 そう言われて、あ、と思い出す。ひとの視線が自分に一瞬でも集まることへの抵抗、それと、そんな自分を助けてくれた高尾くん。その節はお世話になりまして…と頭を下げたくなるくらいだ。ちょっと懐かしいような気持ちになるけど、そんなに時間は経っていないはず。それでも、なんだか、変わったなあ…と思ってしまうと、随分前のことに思えてしまう。変わった、というのは、自分っていうよりも、高尾くんの印象、とか。まさかこうやって二人で遊んだり、送ってもらったりすることになるなんて思ってもみなかった。誰も予想なんてできなかったはずだ。きっと、高尾くんにだって。 そこまで考えて、ふと、プレゼント選びの最中の高尾くんの言葉を思い出す。「今も変わってない?あの時から」 変わっていないはずがなかった。こんなにも変わった。嫌いなわけではないけど、最初は苦手だと思ってた男の子。今は、違う。もちろん嫌うわけがないし、苦手でもなくて、今は、(今はね、) 「あ、そーだ。じゃあやっぱ、今度サンもやってみよーぜ。バスケの時の賭けと一緒。今までその手のゲームやらなかった分、『とりあえずやってみよう』くらいの気持ちで」 「えっ!…あ…」 「コツさえ掴めば収穫ゼロってことはねーと思うな、うん。とりあえず目標はチョコ一個から的なスタートでもいいし?」 「そ…そう、だね…!」 「お?いーね、結構やる気じゃん。サン。めずらしー」 「うん…バスケの時と同じって思ったら、なんか、やってみようかなって…だって、その…バスケの時、やってみて良かった!ってなったから。今までやらなかったこと一つ出来たら、やっぱりすごく嬉しかった。高尾くんのおかげだね」 「いい思い出になってるわけね。ん、そう言われると悪い気しねーかなー」 「うん。今思えばいろんなきっかけだったな、というか…だってそれがなかったらきっと高尾くんのこと、」 (こんなに「好き」になってなかったかもしれない?) 「…」 「…、…えと…」 「……俺のこと、なに?」 「いえ、その、あの、こうやって遊んだりしてないなって!仲良くなれなかったよ、ね!」 自分が言いかけた言葉に、自分で混乱してぼふっと顔が熱くなる。にまにまでもにやにやでもない、少しだけびっくりしたように瞳を揺らしつつ、笑って、高尾くんが私の顔を覗き込むので、慌てて誤魔化した。いや、仮に「好き」って声に出していたとしても、そういう、好きじゃなくて。そりゃあ苦手じゃなくなるきっかけで、でも男の子に向かって「好き」とか、なんだかへんな感じになってしまうと思うし、うん、誤魔化して正解だったと思う。自分の顔が取り返しのつかないくらい赤くなっている気がして、鞄を漁るのを口実に顔を逸らした。 「あ、あの、チョコ!いろんな味があったので!高尾くん私にくれるって言ってたけどやっぱり半分こしよう!取ったの高尾くんだし!」 「…んー、やっぱいいや!全部サンにあげる」 「ええっ!でも…」 「その代わり、今度さんが同じのやって取れたチョコは俺にちょうだい」 鞄の中にしまっていたチョコレートを、取り出す前に手が止まる。でも、と思わず顔を上げた先で、目が合った。ただそれだけで、また意識してしまう。すき、って二文字がぐるぐると頭の中で回った。だけど高尾くんが、じっとまっすぐに視線を向けてくるから、「そらさないで」「聞いて」とお願いされている気がして、目を逸らすことが出来なかった。 「だから、それ理由にしてまた…」 「…、…」 「…遊びに、誘っていい?」 「また、デートして」って、言われるかと思った。 どうしてそんなことを思っちゃったんだろう。高尾くんは、友達として、仲良く、遊んでくれたっていうのに。今日だって、学校でだって、いつも。普段遊ぶ友達とは全然タイプの違う私にも、優しく、楽しく。途端に、自分の思い上がりに恥ずかしくなって俯いた。顔だってやっぱり赤いだろうから、見られたくない。俯いたのを、首を縦に振ったことに捉えた高尾くんが笑う。やった、って小さく、嬉しそうに言う。やった、って、私も喜びたいのに、高尾くんのそれとは違う意味を持ってしまうような気がして、言えなかった。(高尾くんは、いい人だから。優しいから。友達だから)(なのに私、それだけの理由じゃなくなってる気がして) 「――あ!あの、私、家、そこです!」 決して高尾くんと歩く時間が苦痛だったわけではないのに、家が見えた瞬間、少しほっとした自分がいる。私の指さす方に視線をやった高尾くんが、へーここかぁ、そりゃ電車もバスもいらないよなー、歩いても行けるんだもんなー、ってふむふむ頷く。さすがに、本当、たぶん、男の子相手に「あがっていく?」とかいうのも変だと思うし、うぅんでも結局家まで来てもらったの申し訳なさすぎる…とかいろいろ考えてしまうけど、高尾くんは自転車を押していた足を止めると、「それじゃあ…」と別れの挨拶を切り出した。 「今日は本当にありがとうございました…!あの、家まで送ってもらっちゃって…」 「ははっ!だーから、お礼言うのは俺の方だって。付き合ってくれてありがとなー、サン」 「いえいえ、こちらこそ…本当、気を付けて帰ってね。もう暗いから…」 「はーい気を付けまーす」 「えと、じゃあ…ま、また明日学校で!」 「…あー…」 「……うん?」 「いや、うん…なんっつーか、その」 手を振ってバイバイ、という時になって、高尾くんが少し、歯切れ悪く口ごもって、頭の後ろを掻いた。私はきょとんとして、家に向かいかけた足を引っ込める。なんだろう?私何か忘れてる?いやこの雰囲気的に高尾くんが、何か言いたいことがあるのだと思うけど…。家まで送ってくれたのだし、言いたいことを聞かずに家に入ってしまうのは失礼だ。私は姿勢を正して、高尾くんの言葉を待つことにした。高尾くんはそんな私をしばらく見て、意を決したように、こほん、と芝居っぽく咳払いを一つする。 「サン、手ぇ出して」 「えっ?うん?…あっ!私、お菓子いっぱいもらっちゃったからこれ以上は…!」 「ふはっ!いやいや、飴とかチョコじゃないって!んー…たぶん、もっとイイもの?」 「いいもの…?」 言われるままに手を出したら、ラッピングされた小さな箱がちょこんとのせられた。見覚えがあるのは、さっき高尾くんと行ったショップの包装だったから。目をぱちくりさせた後、勢いよく顔を上げて、「え!?」っと声を上げる。おどおどあわあわ喋るときの声とは違う、シンプルな驚きの声のトーンに、高尾くんが笑った。いや、でもだって、驚くでしょう。 「今日付き合ってもらったお礼。妹のやつ買ったときに一緒に買ってたんだけど、渡すタイミング迷ってた」 「ええっ!?な、なんで、えっ!?だってそれは、あの、もともと賭けの景品みたいなもので…!私無理に付き合ったわけではないし、そんな、いいよ!もらえないよ!私誕生日でもないし!!」 「え、誕生日なら貰ってくれんの?じゃーちょっと早めか遅めの誕プレってことでもいーのでは?」 「よ、よ、よくないデスヨ!?だ、だって私、えっと…」 高尾くんの彼女じゃないのに。高尾くんの、好きな人じゃないのに。男の子が女の子に贈り物するのって、そういう理由があるべきじゃないかな、って。そんなふうに思っても、私はなんだか声に出すことが出来なくて、視線をみるみる降下させ、手のひらの上に乗っかったままの箱に向けた。 「……」 「…俺が開けてもいい?」 「えっ…あ…」 私が返事にもたついている間に、高尾くんはその小さな箱を開けて、中から可愛い花のモチーフのついたピンを取り出した。あの時、お店で高尾くんが見ていたもの。 「俺が、さんに似合いそうだなって思ったやつ」 おどけるようなものじゃない。静かな声に、胸がどきりと音を立てた。どきり、どきり、とうるさくって、顔を上げられない。顔を上げたときに、高尾くんがどんな表情なのか、見てしまったら、知ってしまったら、それと同時に、自分の気持ちだっていやでも知ってしまいそうだったから。この状況が、少女漫画やドラマのワンシーンみたいに思えた。それくらい、非日常なものだった。自分が、そういうお話の中のヒロインになったみたいだって思った。そんな思い上がりを拭いたいのに、消してしまいたいのに、高尾くんが、さん、って呼ぶ声に、気持ちが誤魔化されてくれない。 「もらってくんないの、さん」 「……でも…」 どうして、そんなふうに言うの。期待しちゃったら、勘違いしちゃったらどうするの。そんな自分勝手な言い分を、飲み込んで俯いたまま顔を上げない。だって本当、勝手だ。高尾くんは、今日のお礼で、やさしさで、女友達として、なはずだ。きっと私が女の子だから、こういうのを贈ったほうがいいなって思ってくれたり、優しくしてくれたり、きっとそれだけだ。自分が、高尾くんみたいな男の子の、特別、だなんて、思っちゃったらへんじゃないか。恥ずかしいじゃないか。これは友達への贈り物。お礼。それだけ。なら、やっぱり、変に断らないで、笑って受け取るのがいいのかな。ああもうわかんない、男の子の友達って、わかんない。どんな距離なら、ふつうなんだろう。ただの友達、友達、って自分に言い聞かせるはずが、そう言い聞かせれば言い聞かせるほど、胸が少しだけもやもやする。 「……」 「…まあ、サンがもらってくんないって言うなら…仕方ねーか」 「あっ、ちがうの…あの…」 「俺がつけようかなー。自分で」 「…えっ」 「俺こんなのつけちゃったら超かわいくなっちゃうわー。いーんすかね?俺カワイイキャラになっちゃって?」 「…、…ぷっ」 「あ。笑った」 「ふ、ふふ…っ、だって、想像したら…!」 「かわい?」 ぐるぐると考えすぎて、私なんか私なんか、って思考が後ろ向きになっていたところに、高尾くんがそんなふうにおどけてみせるから、おかしくって笑いが堪えられなかった。肩を震わせて、ひとしきり笑って、自然と俯いていた顔を上げたときに、高尾くんと目が合う。途端、笑いが引っ込んでしまうくらい、心臓が跳ねた。目を細めて、私が笑ったのを見るその顔が、あんまりにも、優しくって、穏やかで。そんな顔で笑う高尾くんを、初めて見た。そんな顔で男の子に見つめられたのだって、初めてだった。言葉に詰まった私に構わず、高尾くんの手が私の手を包む。私の手に、自分の贈ったプレゼントを握らせて、 「…やっぱ、笑った顔、いいな」 そう、独り言のように囁いた。ように、じゃなくて、ひとりごとだったと思う。私に言うつもりじゃなくて、ひとりでに零れたような一言だった。だけどその言葉に私はいよいよ固まって、頭が真っ白になった。 「…、……た、高尾くん、あの…わたし…」 「……」 「…どきどきして、どうしたらいいのか、わからなくなる…」 自分の顔が熱いのがわかる。心臓がうるさいのだってわかる。でも本当にこの状況でどうしたらいいのかだけは全くわからない。触れている部分から、自分の体温も心臓の音も高尾くんにバレてしまうような気がして、それがものすごく恥ずかしいことに思えて、もうなんかちょっと視界が潤んできそうなくらいだ。高尾くんは私のそんな頭の悪そうな報告を聞いて、なおかつ、この距離で私のきっと情けない表情を見て、僅かに瞳を揺らした。私の手を握る手に少しだけ力がこもる。その直後、近すぎると思ったはずの距離が、もっと近づいた。触れている手のぬくもりも、ふいにぐっと詰められた距離も、ふつうだったらもっとぐるぐると私の思考をもみくちゃにさせるはずなのに、それができないくらい呆然としていた。覗き込むように高尾くんが顔を近づける。このまま、受け入れれば、この先に起こる展開は―― 瞬間、脳裏に浮かんだ。夢の中の光景。夢の中の言葉。これは夢?現実?どっち?どうして、なんで? ――私、ついに現実と夢の区別がつかなくなったの?あんなに高尾くんが、嫌わないよって、嫌じゃないよって、言ってくれて、夢の中のことと現実は違うから、もう謝らなくても大丈夫って、なったのに。 「…っ!」 気付いたら思い切り、顔を背けていた。その瞬間に、パッと空気が変わった。スイッチが切り替わった。そんな感じがした。高尾くんがはっとしたように体を離す。「ごめん」と、私に謝った。「ごめんなさい」と、言葉を被せるくらいの勢いで私も謝った。高尾くんは悪くない。悪くないんだから。 「あ、の!ピン、ありがとう」 「え…ああ、うん…あのさ、さん」 「遅くなっちゃうから、高尾くん、気を付けて帰ってね!」 「さ、」 「今日はありがとうまた明日!おやすみなさい!」 まくしたてるように早口に言って勢いよく頭を下げる。戸惑っていた高尾くんが、少しの沈黙の後に「…ん、また明日な」って言った。それを聞いて頭を上げた直後、私は逃げるように玄関の方へ向かう。何度か振り返ろうか迷ったのに、結局振り返らずに扉に辿り着いた。 キスされるかと思った。そんなわけがないだろうに。そんなの、あの夢の中だけのことなのに。 そんなことを思ってしまった自分が恥ずかしくて、早く、高尾くんの前から消えてしまいたかった。 |