「ほら、挨拶して。北村さんの息子さんよ」

 母親の背中に隠れてちっとも顔を見せようとしないその女の子。ぐっと母親の服のはしっこを掴んで離さない。離してしまって、掴まるものが無くなってしまえばその瞬間、大口を開けて待っている人食いワニの群れに放り出されるのだと思い込んでるみたいな必死さだ。人見知りだとか恥ずかしがりやだとか、そういう言葉で片づけていい怯えぶりでないことは明白だった。やだ、やだ、こわい。真っ青な顔色が容易に想像できる震えた声だけが、周囲の大人とボクの耳に入る。

「お母さん、やだよ、帰ろう、帰りたいよ…この人たちみんな怖い…」

 甘えるというより、縋るような声だ。泣きそうな弱々しい声。ああ、だめだよ、それは。その選択は、不正解だ。さっきまで優しげだった、女の子のお母さんが、顔色を変える。握りつぶすくらいの力強さで子供の細い腕を引っ掴むと、無理矢理に自分の前に立たせた。「なんてこと言うの!いいから挨拶をしなさい!北村さんに失礼でしょう!?」なんて、ヒステリックな声。見れば、母親まで真っ青な顔色をしていた。まあ、そうだろう。愛教会の古株の「北村さん」に失礼な態度なんてとりたくないだろう。肩身の狭い思いしたくないもんね。新入りさんは。

「ごめんなさい、この子ったら…まだ教えを理解できていないみたいで、本当に申し訳ありません」
「いいのよ。これから修行に励んでいけばいいんですもの。ねえ、倫理」
「ああ、倫理くんもごめんなさい。これからこの子にいろんなことを教えてくれると嬉しいのだけど…」
仲良くするのよ、倫理」

 母親にきりきりと力をこめて肩を掴まれ、ボクの前に生贄みたいに差し出された女の子が泣いている。ぼろぼろと大粒の涙を流しながら、この地獄に連れてこられた運命を呪っている。母親の頭をおかしくした元凶を探るように、この聖堂に集められたすべての人間を敵とみなしている顔だ。誰にも助けてもらえない。彼女の救いなんてここにはない。だからボクは一歩近付く。にこにこ笑顔を浮かべて、握手を求めようと片手を差し出した。こわごわと、彼女がその手を見つめる。

「よろしくね。ちゃん」

 ようこそ、地獄へ。目が合うと、想像以上にかわいい女の子でちょっとびっくりした。きっとキミはボクの不幸のひとつになるんだろうな、そんな予感がした。