去年自分があげたものを喜んでくれたから、今年はそれより喜ばれるものを、と思う。
 自分の誕生日に貰ったものが嬉しかったから、それと同じくらいかそれ以上のものを、とも思う。

「うわ、また今年も悩んでる。もうこの時期の風物詩だよね、それ」

 生意気かつ余計な世話な発言。今年も幸に茶化される。一成に借りた雑誌や、撮影現場でそれとなく耳に挟んだプレゼントに適したあれこれをメモした紙。それと睨みあっているオレの姿は、幸にとって「また今年もやってきたか」という現象の一つらしい。仕方ないだろう。一年に一度しかない代わりに、その一年分の気合いを入れなきゃならないものなんだ。…そう、一年に一回巡りくる。の誕生日。
 思い返せばこの、プレゼントを贈るというやり取り、始めて何回目だろうか。一番最初に贈り物をしたのは、オレからだったような気もする。いつだったか、何を贈ったんだったか。その贈り物に対しての相手からの「お返し」がやってきて、それで、気付いたら、約束したわけでもないのに、いつのまにかどんどん続いていた。考えてみたら、その「一番最初」のときのオレは、今よりずっと気楽だっただろう。いや、気楽ではないか。初めて贈るからこそ、喜んでもらえるかどうか不安だった気もする。けど「今」のオレは当時のオレには無かった、積み重ねてきた月日があるからこそ「去年よりいいものを」「相手がくれたものに釣り合うくらいのものを」なんて悩みで、ドツボにハマる。

「でも楽しいんでしょ?だから毎年そうやって唸ってるんだろうし」

 幸が言う。そうだ。無理してそんな考えなくていいのに、気持ちだけでじゅうぶん、なんてに言われた日には全力で否定する。想像して変に焦った。本当に言いそうだ。けど断じて「無理して」じゃない。「やらなきゃいけないこと」みたいな義務でやってるわけじゃない。オレがやりたくてやってる。気持ちだけじゃ足りないから、じゃなく、それだけでじゅうぶんなくらい気持ちがあったとしても、何かしたい。

「…いや、『楽しい』じゃない。オレは『好き』なんだ」
「……」
「まあ、結果的には…楽しくもなるか」
「『好き』ねえ…」
「なんだよ」
を?」
「そうだ。オレはが好きなん…、…ち、違う!プレゼントを考える時間が、だろ!」
「ふうん。違うんだ?」
「ち、」
「…」
「ちがわない…」

 すきなんだ。何回、唱えただろう。人生で何十回、唱えるだろう。その日がくるといつもオレは考える。それくらい、オレの人生の中にその存在がいてくれている。オレに「おめでとう」を言ってくれるとき、もそんなことを考えるだろうか。なんて思いながら、オレはまた雑誌をめくり、のことを考える。その日のことを、喜ぶ顔を、考える。これから先も何度だって言いたいから、オレは今年もその日を特別にするんだ。今年も、来年も、10年先も。