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「ー…ー?…ったく、また遅刻魔復活か」 休み明けの月曜だった。そう担任が呟いた時、真田は自分の隣の席を見やる。まだ来ない、来ない、と気にかけてはいたが、結局出席確認のこの時間まで、その席の主が姿を現すことはなかった。主人のいない机と椅子は、当たり前だが無言のままそこに佇んでいる。真田は薄く唇を開いたまま、何か言いたげに呆然とその席を見ていた。 が教師に何も言わず無断で遅刻をするのは珍しいことではなかった。それでも、最近はかなりその数は減っていたのに。「だって朝急ぐのが面倒で」と悪びれもせず言い切るを、真田はいつも眉を寄せて叱っていた。早く寝ればいいだろ、早く起きればいいだろ。仲の良い友人たちは「葵衣ならしょうがない」と諦めた、むしろ個性の一つのように受け止めていたけれど、真田はそんなをよく注意していた。友達に言われるより、先生に言われるより、なぜだか一番素直に「はあい」と返事をしていた。その彼女が――いない。「いつものことだ」と気にも留めない教師、友人。真田だけが一人、妙な胸騒ぎを抱えたまま無人の机を見つめていた。 「有里っ!今夜はタルタロスに行くぞ!」 有里が寮のドアを開けた直後、ソファーから立ち上がった真田が彼に向かってそう叫ぶ。その勢いに圧倒されて、有里は目をぱちくりさせた。思わず一歩後ずさったぐらいだ。そんな様子にすら苛立つように、真田は「交番前の貼り紙を見なかったのか!」と文句をつけた。真田のすぐ傍に腰掛けていた美鶴が「落ち着け。周りに当たるな」と静かにたしなめる。そこでようやく、真田は溜息を吐いてどすんとソファーに腰を下ろした。寮のラウンジはやけにピリピリとした空気に満ちている。遅れて帰宅した有里は、そんな空気に馴染めず困惑気味だ。内心恐る恐る、真田に返事を返す。 「失踪者、ですよね。見ましたよ。うちの学校の生徒だって…」 「…ああ。俺のクラスのだ。今日、遅刻かと思ったが結局学校に来なかった」 「まあそりゃ、知り合いだと焦るっスよね…」 順平が小さく話に首を突っ込むと、真田は「ああ」と短く相槌を打つ。それでそんなに気になってるのか、と有里も納得する。ただの家出ならまだいいけれど、そうではないんだろうと有里は誰より確信を持っていた。今朝、エリザベスから電話があったのだ。「タルタロスに迷い人がいるようです」と。そういう連絡が入ったときは必ず、交番の貼り紙に書いてあった失踪者がタルタロスに入り込んでいる。大体の階層もエリザベスに聞けば分かる。べつに助ける期限がすぐというわけでもないが、早めに助けることに不都合は無い。有里はこくりと一度頷いて、風花の方へ視線をやる。 「今夜、タルタロスに向かおう」 「あ、はいっ!分かりました。じゃあ、0時に」 「ああ、今日中に助けるぞ」 「張り切ってんなー真田サン。…えっもしかしてそのサンって、先輩の彼女とか?」 「順平は置いていく」 「えええ!?ちょっ、いや、なんで!?つか先輩が決めることじゃないし!湊っ俺行ってもいいよな?俺今日調子いいぜ?なっ?」 「…いや、どうでもいい」 タルタロスの中はひんやりとしていて、床も壁も、もちろん現れるシャドウ達も、気味が悪い。だがそんなものにも慣れている真田は、ずんずんと先へ進んでいく。有里がすぐ後ろへ追いついたものの、今日の真田の纏うピリピリと殺気立ったオーラに圧倒されて、声を掛けにくい。リーダーである有里が普段は先頭を任されているし、今だって先頭に立つべきは有里のはずだ。だが、そんなことを突っ込める雰囲気ではない。そもそもタルタロスのエントランスに到着するなり、ほら早く行くぞと真田が周囲を急かしていた。戦闘メンバーの編成を決める前からそんなことを言われて皆戸惑いつつも、失踪者の知り合いならば気掛かりなのは当然だろう、と有里も彼を戦闘メンバーから外すことはしなかった。 「山岸、失踪者の気配は有るか?」 『探ってみます!』 「ああ、頼む」 「エリザベスの話によると、このあたりのフロアみたいなんだけど…」 『…探ってみましたが、このフロアに人の気配はありません』 「そうか。よし、次へ行くぞ。階段を探すんだ」 「分かりました」 誰が見ても「やる気満々」の真田が指示を出すと、有無を言わせない凄みがあった。いつもは指示を出す側であるリーダーも、素直に頷く。後ろを付いてきていた順平は小さく「張り切ってんなあ…」と呟き、若干戸惑っていたけれど。 途中、敵に見つかり戦闘になった時にも、真田のいつもの余裕は無かった。ただ一刻も早く敵を倒し、失踪者探索に時間を割かなければ。そういった気持ちが分かりやすく伝わってくる戦い方だった。もう一人のパーティメンバーである美鶴も、そんな真田の様子に複雑そうな表情を浮かべていたが、止めることはしない。止めたって聞かないだろう。ならば、自分たちに出来ることは真田をたしなめることではない。その熱意を受けて、力になってやることだ。それに失踪者が月光館学園の生徒である以上、生徒会長の美鶴だって、絶対に助けてやりたいと思っていた。 四人はタルタロスの中を走り、走り、上へ上へと進んでいく。 真田自身、苛立っているのか、焦っているのか、はっきりとは分からなかった。ただ、嫌な想像ばかりが頭を過ぎり、それを掻き消すためにも、拳を振るい続けなければならなかった。タルタロスの迷い人は、これが初めてではない。今までだってこういうことはあった。その度に助けた。救出し、病院で休養させれば、少しずつ元通りになってくれる。焦らなくても時間はある。失踪者がタルタロス内にいるのなら、影時間を繋ぎあわせた時間しか体感していないはずだ。「焦らなくてもいい、確実に進めば助けられる」そう強く自分に言い聞かせようとするのに、「そんなことは問題じゃないんだ!」ともう一人の自分が突っぱねていた。 「…待ってろ、…」 そうだ、待っているんだ、きっとが。だから一分でも一秒でも早く助けなくてはいけないんだ。自分の呟きに、自身が大きく頷いた。「急がなくても大丈夫」と言われようと、助けを求める人間がいると分かっていて、後回しになんかしたくない。急がないなんて無理だ。じっとしていられるわけがない。 本当は誰よりも一番、真田自身が救われたかった。一刻も早く、この不安から。また自分は、身近な人間を失うのではないか、何も出来ず助けられないのではないかという、恐怖から。 『真田先輩ッ!』 風花の叫び声が響いたのと、真田の体が床に叩きつけられたのはほぼ同時だった。敵の攻撃をまともに喰らって、真田が苦しげに声を漏らす。それを間近で目にした有里が、よくもやってくれたなと言わんばかりに怒りを込めて召喚器の引鉄を引いた。それに加勢した美鶴の攻撃で、強敵だったシャドウは倒れ闇に溶けた。すぐに皆が真田に駆け寄るが、彼は自分自身の力で無理矢理に体を起こす。ずっと先頭を走り一人で無茶な戦い方をしたせいで、疲労が出てきた上に、先ほどのシャドウの攻撃。体は既にボロボロのはずなのに、真田は有里たちに「すまない、助かった」と礼を言うと、また駆け出そうとする。さすがに見かねて、美鶴が呼び止める。 「明彦!無茶をし過ぎだ!回復を優先しろ!」 「大した怪我じゃない。回復は後でも大丈夫だ。時間が惜しい。先へ進むぞ」 「ちょ、真田サン!無茶して失踪者助ける前に自分が倒れちまったら意味ねーっスよ!」 「真田先輩!」 有里の声に、それまで前しか向こうとしていなかった真田が振り返る。何があっても、戦闘や探索におけるリーダーは有里だ。リーダーの命令であれば、強制力が全く無いとは言い切れない。けれど有里は、真田と目が合って、先の言葉を続けることが出来なかった。寮のラウンジで苛立って美鶴に「周りに当たるな」と言われていた時の真田の表情とは変わっていた。真っ直ぐに有里の目を見て、真田は、「頼む」と一言、口にする。 「馬鹿をやってるのは分かってる。だが今回だけは止めないでくれ。頼む」 「…真田先輩」 「……は、俺の隣の席でな。遅刻は多いし、よくボーっとしてて、…あと授業中すぐペン回しや落書きをしだす、少し抜けた奴だが…良い奴なんだ。…今朝あいつのいない隣の席を見て、俺は…嫌だった。嫌な気持ちになったんだ」 自分以外の誰も気にかけなかった。誰も何も気にならない、皆「いつも通り」みたいに過ごす。それがとても、不安だった。嫌だった。話しながら、真田はぐっと拳を握る。順平も美鶴も、何も言えなかった。ただ黙って、真田の言葉と、リーダーである有里の判断を待っていた。 「最近は遅刻もしなくなって、朝学校に行けばあいつから挨拶してきてた。俺は隣の席にあいつがいないと、調子が狂う。遅刻をするなら俺が叱ってやりたいし、他愛のない話にも付き合ってやりたい。あいつがいなくて当たり前になんか、なれるはずがないんだ」 たかがクラスメイトだ。隣の席だというだけの。二人の関係は特別な形なんかじゃない。それでも、駄目なんだ。いなくてもいい存在なんかじゃない。自分たちにしか救えない場所に一人、取り残されているのなら、なおさら。今一度、真田は真っ直ぐに有里の目を見る。有里も、その視線を逸そうとはしなかった。「分かりました」と首を縦に振る。順平と美鶴が同時に彼の顔を窺うと、有里も二人を振り返った。 「きっとさんが見つかるまでもう少しだと思う。…今はとりあえず、真田先輩の意思を優先させましょう。後日しっかり、桐条先輩にお灸を据えてもらうってことで」 「お、おい有里、どうしてそうなる…」 「…そうか。フッ、それなら仕方無いな。明彦はそれを覚悟で自分の我儘を通しているのだから」 「待て、美鶴、俺は…」 「うっし!じゃあもうひと踏ん張りっスね!絶対今日中に見つけちゃいましょー!真田サン!」 ぐっと握った拳を、調子よく突き上げる順平、仕方ないなと言うように薄く笑う美鶴に、真田は数秒言葉を無くして、それから、信頼しきったように「ああ、そうだな」と笑ってまた駆けだした。走りながら、ナビゲーターである風花の声が聞こえてくる。『真田先輩、私がタルタロスに迷い込んだ時も、危険な作戦だったのに、見殺しになんか出来ない…って助けに来てくれたんですよね』――そういえば、そんなこともあった。最悪二重遭難の可能性もある、という危険な作戦だった。あの時も自分の無茶を仲間達は通してくれたのだ。考えてみれば自分は無茶を言ってばかりだな、と今更気づく。自分ではなかなか気づけ無いものだ。それでも、真田の中に湧いてくるのは仲間に対する申し訳無さではなく、感謝だった。今この時も、「自分たちがカバーするから、あともう少しだけ、無茶をしてもいい」と、そう許されているのだから。 『このフロア、人の気配がします!』 階段を上がったところで、風花の通信が入る。その瞬間、居ても立ってもいられないと言うように、真田が勢い良く駆け出す。あまり慣れない階層だが、こういう時は散らばって探したほうが早い。指示も無く勝手に飛び出した真田をフォローする様に、慌てて有里が残りのメンバーに指示を出す。「戦闘はなるべく避けて、失踪者の探索優先で散開しましょう!」その指示に頷き、各々がフロア内に散らばっていく。 「っ!!どこにいる!?!!」 今までの失踪者の様子を見るに、こちらの呼びかけに返事を出来るような状態である可能性は極めて低い。多くの場合、完全に影人間になってしまう一歩手前の様な状況で、タルタロスのどこかにうずくまっている。それでも、名前を叫ばずにはいられなかった。広いタルタロス内に、真田の声が響く。戦闘をなるべく避けて、と言っても、こうも堂々と叫び歩いてはシャドウに気付かれないはずがない。有里はとりあえず、何かあった時のためにと真田の後を追って走った。 「…う、…うぅ…」 ふいにどこからか聞こえた呻き声に、真田がハッと足を止める。どこだ、どこから聞こえた、どこにいる。きょろきょろと辺りを見回し、今一度、「!!」と大声で名前を叫んだ。耳を澄まし、呻き声の主を探す。か細い声を頼りに、周囲を歩き回る。しばらくして、ひらけた場所に行き当たり、その隅に人影を捉えた。見慣れた制服姿。頭を抱えて力無く蹲っているその人物。真田の目が大きく見開かれ、次の瞬間には弾かれたように駆けだした。「!!」名前を叫んで、腕を伸ばし、あと一歩という手前で、敵の気配に真田は振り返る。潜んでいた大きなシャドウがこちらに気づき、今まさに迫らんとしていた。咄嗟にを片手で庇い、もう一方の手を召喚器に伸ばしたその直後、敵の背後に一瞬眩しい光が走り、有里の召喚したペルソナによってシャドウの体が炎に包まれる。 「先輩!敵はこっちに任せて、失踪者を!」 「すまない、助かった!」 敵は一体だけでは無かったらしい。残りの敵も有里が相手をする間に、真田はうずくまって小さくなっているに駆け寄る。「、しっかりしろ!っ!」真田の呼びかけに、彼女は答えない。衰弱しきった虚ろな様子で、苦しげに呻き声を漏らすだけだ。教室で見ていた姿とはまるで違う、変わり果てたようなその様子に、真田はぐっと唇を噛んだ。やがて散開していた美鶴達が真田と有里の声に気付いて駆けつけ合流する頃には、シャドウは有里一人の力で片付いていた。皆、沈黙したまま真田の方へ視線を向ける。順平は帽子のツバを摘んで視線を床に落としながら、小さな声で隣の有里だけに呟く。 「知り合いがああなっちまうのって、やっぱキツイよな…。元気な姿知ってると余計にさ」 「…ああ」 有里にもそんな経験があった。古本屋の文吉爺さんや、神社の公園で仲良くなった小学生の舞子も、以前タルタロスに迷い込んでしまったことがある。彼らが迷い人になってしまったと聞いた時は、自分も今の真田と同じように、一刻も早く!と意気込んで探索に臨んだものだ。そして、こうしてタルタロス内で見つけたとき、普段見ていた姿とはまるで違うその弱りきった様子に、少なからずショックを受けた。悔しささえ覚えた。もうかなりの歳のしわくちゃのお爺さんが、ランドセルを背負った小さな女の子が、どうしてこんな目に遭わなくてはいけないのかと。その時のことを思い出して、真田の背中を、有里はじっと見つめた。どんなに胸が痛むだろう。苦しいだろう。けれど、慰める言葉を掛けるべきなのか、そうだとすればなんて言葉が適しているのか、なんて、考えても分からなかった。 「…先輩…とりあえず、外へ運びましょう。タルタロスの中は体に良くないと思うから」 「ん…ああ、そうだな…」 「あ、えーっと、さっきそこに転送装置見つけたぜ!これでぱぱっとエントランス戻れるよな!」 「分かった。ありがと、順平」 「影時間が明け次第、病院へ搬送しよう。…明彦、頼めるか?」 「ああ、分かってる」 美鶴に言われ、蹲っていたの体を、真田が軽々と抱き上げる。抵抗どころか、なんの反応も無い。正気の時のに同じことをしたら、こいつはどんな反応をするんだろう。そんな考えが一瞬頭を過ぎるけれど、今そんなこと考えてる場合じゃないだろう、と首を振る。腕の中のはやはり苦しそうに、何かに怯えるように、呻き声を漏らしていた。目は虚ろで、どこを見ているとも分からない。何か恐ろしい幻覚でも見ているのだろうか。気味の悪いシャドウの呼び声でも耳の奥に響いているのだろうか。話が通じない今、何も分かってやれない。ただ、何か、恐ろしい思いをしているのなら―…少しでもその思いに蓋をしてやりたい一心で、ぐっと抱く腕に力を込めて、小さく囁いた。「大丈夫だ、。もう、大丈夫だから」唱えながら、自分に言い聞かせているような気持ちになった。大丈夫、大丈夫だ、はいなくならない、腕の中に、いるから。 「…あ、ぁ…う…、…真、田…く、ん…?」 隈のできた目元を痛々しく思ってなかなか直視できていなかった真田が、その声にはっとして腕の中に視線を落とす。目が合った。視線は未だ虚ろだが、その目に確かに、真田のことを映した気がした。いや、気のせいなのだろうか。まだ探しているのだろうか。何にせよ、自分の名前が呼ばれたことは間違いない。傍にいた美鶴が、真田を振り返る。タルタロス内の迷い人となっていた人間に意識があるとは。今までのパターンでは、病院でゆっくり療養して少しずつ回復していく人間がほとんどだった。 「…?」 「…う、」 「大丈夫だ、俺がついてる。俺はここにいるからな。安心していい。ゆっくり休んでろ」 呼びかけると、うなされていたの口元がゆっくりと笑みを形作る。それにようやく心からほっとして、真田もつられて微笑んだ。見守っていた美鶴も、順平も有里も、安心して顔を見合わせる。良かった、と。体はぼろぼろで、いつもより少し長めに探索して、きっと明日は一日疲労になるだろうなあ、と思うのに、誰もが安心して、胸を撫で下ろした。 長い長い影時間が、ゆっくりと明けていく。 |