三
いつも一人で過ごしている空間に、当たり前のように他人が存在していると云うのは、不思議なものだった。見慣れた自分の部屋が、少し違うものに見える。物珍しそうに部屋の中を見回すの様子は、拾われてきた小動物か何かの様だった。しかし無遠慮に歩き回ったりそこらのものを手に取ったり、等という困った幼児では無いので、私は取り敢えず彼女をその場に残し、風呂の準備をすることにした。此れ以上体が冷えてはいけないだろう。浴室に向かった私の後を、すぐにが追いかけてきた。ぐしょぐしょに濡れた靴下で、私の部屋の床をペンギンの様に歩く。まずそれを脱ぐべきではないだろうか。
「どうした」
「何か手伝う?」
「いや、特には」
「何かした方がいい?」
「…そうだな…取り敢えず濡れた服を」
「脱ぐ?」
此方の言葉を遮って、が自分の服に手を掛けてぐい、と捲り上げた。そう云う事を気にしなそうな性格だとは思っていたが、本当に気にしないらしい。流石に此れは、この状況を受け入れてしまえば、まずい。後で太宰達に知られたら何を云われるか判ったものじゃない。
「。待った。俺の云い方が悪かった。まだ脱ぐな」
「あ!ごめんね、織田作さん先に入るよね?」
「違う。其れは確かにお前が先でいいんだが…」
「一緒に入っちゃだめ?」
「駄目だな」
食い気味にそう断りを入れると、少し拗ねたように唇を尖らせたが、それ以上は粘らなかった。その手の問題を気にしないどころか、気にしなさすぎる。何故こちらが一緒に風呂に入ることを断ったのか、あまり判っていない様子だ。断られてもそこまで気に留めないようだが。前から思っていたが、は性別がどうだとか云う話に疎い。自身、中性的と云うか、“少年の様な少女”でも“少女の様な少年”でも通じる見た目だ。此処だけの話、安吾はを初めて見た時「そちらの男の子は?」と云った。此れをかなり安吾本人は気にしている様で、未だに当時の話を掘り返す事を嫌がる。自身は慣れているのか気にしないらしく、自分から「女だ」と訂正することもなければ、寧ろ「男の子だと思われているなら男の子でいいや」というスタンスだ。
「あまりそういう事を軽々しく男に云わない方が良いんじゃないか」
「えっごめんねそんなに嫌だった…?」
「嫌とかでなく其れ以前の問題なんだが…」
「あっ判った!もっと大人になってからじゃないと駄目だって云うんでしょ」
「いや、もっと大人になってから云われる方が困るな」
何年後かには、安吾の様に彼女のことを男だと勘違いする人間が居なくなるくらい、“女性らしく”なっているかもしれない。そんな人間が何にも気にせず「一緒に風呂に入ろう」と云ってきたら自分は今以上に混乱するだろう。まァ、其の時も変わらず自分や太宰達が、の傍に居るとは限らないが。彼女も今よりもっと友人を選ぶ様になるかもしれない。今が無節操すぎる。
「あ!もうお湯たまった?お風呂になった?」
「…ああ、そうだな。濡れた服は脱いだらこっちに掛けておいてくれ」
「はー…い?あれっ、そういえば着替え持ってないんだけど、裸で居たら怒る?」
「凄く怒るぞ」
「えー!」
「…お前が風呂から上がるまでには何か用意しておく」
「判った!シュッと入ってバッと上がってくる!」
「何故急ぐんだ」
「えっだって織田作さんも早く入りたいかと思って」
「気にしなくて良いからゆっくり温まって来い」
「ゆっくりあったまってこないと怒る?」
「凄く怒るぞ」
「えー!」
そう声を上げつつ、表情は楽しそうで、笑っていた。楽しくて困ってしまうような笑い方だった。若しかしたら、親元を離れるまでは、毎晩母親と風呂に入っていたのかもしれない。楽しく、笑いながら、湯船に浸かって数を数えていたのかもしれない。…などと考えてしまうと、先程の「一緒に入っても良い?」と云う言葉は、頭ごなしに駄目だと突っ撥ねるべきではなかったのでは、なんて流されてしまいそうになり、慌ててそんな考えを頭の中から追い払った。其れと此れとは話が別だ。
「じゃあしっかりゆっくりあったまってくる!」
「ああ…待て、脱ぐのが早い。俺が居なくなるのを待ってから、」
再度その場で服を捲り上げたは、意外にも此方の台詞が云い終わらない内にハッとして腕を下ろした。私の顔を見上げて、その顔色を窺って、何かを確かめるように押し黙る。まもなく、「見た?」と尋ねてきた。何を、とは訊かない。私は取り敢えず首を横に振った。嘘を云ったわけではなく、本当にただちらりと肌の色が見えたくらいで、具体的にどんな体の部位が視界に入ったか、と云うのは判断しにくい。とはいえ、肌を見せるという行為自体が恐らく「女性」にとってはあまり気分の良いものではないだろう。先程は「一緒に風呂に入ろう」と軽々しく云ってきたというのに、突然此方を警戒するような態度を取られて、少し戸惑う。だが、警戒してくれたほうが本人の為かもしれない。私が首を振ったのを確認すると、は深く息を吐き、
「そうだった、人に裸を見られたら恥ずかしいもんね、忘れてたよ」
と云って、うんうんと頷いた。どうしてそんな人として大事なことを忘れるんだ、と疑問に思う反面、忘れていたなら仕方ないか、と妙に納得してしまう。私は本日何度目かになる「そうか」という一言を口にして、浴室に背を向けた。